王宮とデュシット宮殿
2008年04月01日
現在、タイ国王は住んでいませんが、今も昔も変わらぬ崇高な姿を誇るのが、王宮です。
チャオプラヤー川沿いの東岸に位置します。
白い壁に囲まれた20万平方メートルの敷地内に、いくつもの宮殿と王室の守護寺であるワット・プラ・ケオが建っています。
18世紀(1872年)に、ラマ一世が建設に着手していて以来、増築を重ね、現在の形になったといわれます。
ラマ一世は、現在のタイ王朝の始祖となった人です。
現在、エメラルド寺院に納められているエメラルド仏は、もともとラマ一世がラオスのヴェンチャン遠征から持ち帰り、暁の寺として知られるワット・アレンに安置したのが始まりです。
ワット・アレンはアユタヤ王朝時代に創建され、トンプリー王朝の守護寺院となった寺で、チャオプラヤー川の西岸に位置します。
その後、ラマ一世がチャクリー朝(ラタナーコーシン朝)を興し、王都はチャオプラヤー川の東岸へ遷都され、守護寺院も東岸のワット・アレン(暁の寺)から、西岸のワット・プラ・ケオ(エメラルド寺院)へ移されることのなったのです。
ラマ一世のチャクリー朝の前、タークシン王のトンプリー王朝の都は、ワット・アレンと同様チャオプラヤー川の西岸に位置しました。
しかし、当時この一帯にはビルマの攻撃が迫っていました。
ビルマは、タイのアユタヤ朝を滅亡に追いやった強国です。
タークシン王のあとを受け継いだラマ一世が都を現在の位置、チャオプラヤー川の東岸へ移したのは、ビルマ軍の攻撃を防ぐためだったのです。
当時バンコクは、住宅環境があまり良いとはいえない状況でしたが、新都の西側に流れることになるチャオプラヤー川と、東に広がる低湿地が都を守る自然の城郭となると考えられたのです。
人びとは、この新都を「クルンテープ(天使の都)」と呼ぶようになったといいます。
白壁に囲まれた、20万平方メートルの王宮の敷地内には、1782年のラマ一世による王宮の建設着手以来、増築を重ねて現在にいたった王宮の歴史をたどるかのようにいくつもの宮殿と、王室を見守ってきた守護寺院ワット・プラ・ケオ(エメラルド寺院)が存在します。
ナ・プラ・ラーン通りに面する王宮の正門(北門)ウィセートチャイシー門を入ると、手前の芝生を越えた正面奥にそびえるのが、タイ様式とビザンチン様式を折衷させたチャクリー・マハオウラサート宮殿です。
これはラマ5世がチャクリー朝100周年を祝い建立した宮殿です。
チャクリー宮殿の右手にあるのは、デュシット宮殿です。
白い外壁に7層のきらびやかな色彩の屋根が載せられているのがみえるでしょう。
この宮殿は、ラマ1世によって建立され、王宮の敷地内では最古の建築とされ、タイの伝統建築の傑作といわれます。
内部には、ガルーダの紋章がついた玉座があります。
ガルーダは、ヒンズー教のヴィシュヌ神の乗り物とされる半人半鳥の神です。
タイ王室の象徴とされています。
先のチャクリー宮殿が、西洋のビザンチン様式とタイの伝統的な様式の折衷であるのに対し、このデュシット宮殿は、暁の寺(ワット・アラン)と同様、インドのヒンズー教色が色濃い建物です。
玉座は2種類で、真珠貝をあしらった黒漆塗りの象眼細工のものと、南側の側廊に置かれた銀の小玉座のです。
ラマ一世が崩御されたときにここに遺体が安置されたことから、王族の遺体はいったんここに安置されたあと、荼毘にふされるようになりました。
はすの葉や花を描いた、落ち着いた色調の壁画が飾られています。
2008年04月01日
カテゴリー:01タイの観光名所
